| No.31 おかたづけ社会学概論
|
 |
おかたづけは、「個」の作業と思われがちですが、
おかたづけを必要とする場が、大勢の人間が関わる場ということが多い、
また、ひとりでするのではなく、各部署連携プレーが要求される。
また、おかたづけ後、いい状態をキープできるかどうかは、
その場で過ごす人の心がけひとつ、みなさんの協力があってこそ〜
これらのことから考えて、おかたづけは、広く社会的観点から考えるべきではないだろうかー
そんなことを考えました。
また、おかたづけの及ぼす影響も、個ーにとどまりません。
家族、友人、同僚、子供の学校、実家、ご近所、地域・・・・
ひいては、“世界”に、あなたのおかたづけの成果は影響を与える!!かもしれない。。。
関わりの最も深いのは、ゴミ問題です。
おかたづけについて考えることは、環境について学ぶことにつながっています。
|
No.32 モノあまりという時代
|
時代〜というのは、マチガイですね。
モノが不足して、毎日困っている人も何万人もいます。
この、余っているモノを、うまく回してあげられたらーこんなに世界が狭くなっているのに、
どうしてなんでしょう???
という考察も、し始めたらキリがありません。
モノを捨てる方法についての本が、こんなに売れる国はオカシイと思います。
モノあまりという、前代未聞の現象は、どれだけのお金・エネルギー・労働力を
ムダにしていることでしょう。
モノは、余っているのではなく、「うまく使い回せない」だけです。
世の中に不要な品などない。
だから、捨てるのは最後の手段、「モノを使いまわす」仕組みを考えることこそ、
これから必要になってくると、ぽぽいは思います。
とはいっても、目の前のモノの山は、一度リセットしなくてはなりません。
毛布がなくて、震えている子供たちのことも忘れずに、
でも自分の積み重ねてきた「不始末」を懺悔し
「これからは、厳選したモノで暮らすぞ」という誓いを新たにしましょう。
|
| No.33 「生産と消費」
|
 |
モノが余るのは、単純に「使うものより多く作る」からです。
使われないものなら、作らなければいい。
でも、「作って」「売る」ことで、生計をたてている人がいる。
「買ってもらう」ことで利益をあげている会社があり、その社員がいる。
「あまり使わないだろうけど、買う気にさせる」こともお仕事となる。
エネルギーも資源もゴミ捨て場も、数に限りがあるとわかった今、
消費行動に頼る社会の仕組みは、対象を「モノ」から「サービス」へとシフトすべきです。
たとえば、車。車は、もうそんなに作らなくてもいいんじゃないかーと思うんです。
修理やメンテに人員を回し、その上で必要な新車のラインに人を残し、
それに伴い、仕事を失う人には、「人の輸送」に関わる仕事を紹介する。
人の移動は、必ずあるのですから。
ただ、ひとりひとりの移動にまで、個別に車を使う必要があるのか。
ガソリンが高くなるのは、もう、仕方がありません。モノがないんですもの。
だから、燃料を大事に使うーみんな一緒になるべく動くようにする。
なかなか実現は難しいかもしれません。わが家も実際、車はひとり一台だし。
でも、考えてはいますよーその方向で。
人間が生きていく上で、こんなにモノを作り、買う必要があるのかー
それを考えませんか。
|
| No.34 「家の変遷」
|
年末になるたび、思うことですが。
大掃除ーって、年末にしなくちゃならないもの??
新しい年を、すっきりきれいな状態で迎えたいーというのはわかりますが、
「大掃除」って、どちらかというと「一年間できなかった掃除を、やっちゃう」ことと思われています。
台所の換気扇の掃除を、どうして「年末」まで待つのかー台所もフル回転する時期に。。。。
秋にやっとくのって、いけないこと??
昔、畳を上げて叩いたなあ〜今は床のワックスがけ?
なんで、寒い時にやったのかしらー畳の場合はわけがあるのかなあ。
窓拭きだって、暖かい時の方が楽でしょうに。
大掃除が冬、年末だったのは、農家がヒマになるのが冬期間だったから。
だから、一年中、同じペースで暮らす人は、いつやってもいいはずです。
ぽぽいは北海道なので、なおさら、夏に掃除をしておきたいんです〜
家も、大分変わりました。
畳の部屋は少なくなり、土が家の中に持ち込まれることもなくなり、
煙突掃除も不要、木造家は、しょっちゅう修繕しなくてはいけなかったけど、
今はメンテも業者まかせ。
井戸は水道になり、炊事の火元も薪から電気・ガスへ。
マンションという、新しい形の住居も多くなりました。
一軒家とは、しつらえ方が違います。
洋風な暮らしが多くなったら、掃除の仕方も用具も変わってきます。
暮らす顔ぶれも変わりました。
祖父母・父母・子供の三世代大家族から、夫婦と子供の核家族へ。独り暮らしも増えました。
ひとつの家の場合でも、三世代の場合は、顔ぶれが入れ替わる?だけですが、
核家族は、子供が独立した、つれあいが亡くなった、など、暮らし方も変化する。
その都度、家財道具も変わるはずです。
必ず「子供と同居して、最後を迎える」というわけでもないとしたら、
「自分の代での家の始末」も考えなくてはいけない時代ーなのです。
|
| No.35「暮らし方の変化」
|
 |
家・家族と変化をみてきましたが、ひとりで暮らす、あるいは夫婦で、家族で暮らす場合も
生活スタイルはかなり変わってきました。
一家三世代が一緒に住み、農業・漁業・商売などをすることが多かった昔に比べ、
夫が会社に勤め、妻が家のことをするスタイル、そして夫婦共働き、
自営業だけれど、職場と家が別、夫婦どちらかが単身赴任、
子供たちが成人しても独立しないで親元に暮らす、
お母さん(またはお父さん)だけと子供ーという形、友人同士の共同暮らし、独り暮らし。
暮らすのに必要な家具・電化製品なども、かなり変わりました。
暮らすーという行為はそんなに変わらないのに、どうしてこんなに道具がふえたんでしょうねえ?
なくても暮らせるー最近のぽぽいは、それを実践していますーま、その話はあとにして。
日本のように、こんなに短期間で生活スタイルの変わった国はないんだそうです。
だから、お手本のない対応を、私たちはせまられているんですね。
|
| No.36 「意識の変化」
|
ここでは、暮らし方やモノに対する意識ーという限定でお話をすすめますが。
世代間の考え方のギャップが、顕著に現れるのが「モノの処分」
「捨てる」ことが「是」か「非」か。
人間は、ある時点で身につけた価値観に基づいて生きていきます。
これを変えることは容易ではないし、よほどのことがないと変わらない。
だから、70代の方に「捨てるのはいいこと」と思っていただくのは難しい。
「捨てるのはしのびないんだけど、仕方ないの」と納得していただくしかない。
そして、捨てることでチクチクいたんでいるに違いない、
その方の「良心」にも思いをかけてあげてください。
ぽぽいの両親は、 戦中戦後、モノのない時代に育ち、
その後の高度成長で、一気にパラダイスを経験した世代です。
母たちにとって、モノのない不安が解消されるーこれは何物にもかえがたい「安心」なのです。
だから、「こんなにストックしておかなくても大丈夫よ」と言ってもだめなんです。
せめて、ちゃんと置き場所を考えてあげなくてはーね。
そんな親に育てられた私の年代(40代)は、なにかにつけて「もったいない」と
思ってしまい、 捨てられないー捨てることへの罪悪感が常にある。
にも関わらず、「こんなにモノはいるの?」「モノがあることが幸せなの?」と
気づきはじめた世代かもしれません。
だから、20代のワカモノが、あまりにもぽんぽんモノを捨てたりするのに、びっくりもし、
執着ないんだなあ〜なんて感心もしたりするんです。
でも、どの世代でも、
「今、自分のまわりを取り囲んでいるモノとの付き合い方を考える」ことは大事なことです。
その結果、ストック品が大量にあったり、修理待ちのガラクタが残ってたり、
調理道具のぜんぜんないキッチンであっても、その人それぞれ。
自分にとっての「気持ちいい空間」であればそれでよしーそう思います。
|
| No.37 「労働の変化」
|
産業の分類によれば、昔は農業・漁業などの「一次産業」に従事する人が多かったのですが、
特に戦後は、二次産業〜加工・製造・建設などに携わる人が増えました。
そして、高度成長を経て、モノがゆきわたりつつある現代、
サービス業などの三次産業に関わる人が増えています。
労働は、それによって対価が支払われ、そのお金で生計を立てる。
社会にとって、不必要な労働には対価は支払われない。
時代によって主要産業が変わるのも仕方のないことだとしたら、
今している仕事で、一生食べていけると思うのはマチガイかもしれない。
ぽぽいは、楽器の演奏という、とてもやくざな仕事なので、
いつまでこれでいけるかわからない毎日です。
社会に貢献しているのか?なんて考えたりもしますが。。。
最近、インターネットで思うことなんですが、ネットの世界では、「対価」の考え方が
とてもフレキシブルなんです。
知識も時間もエネルギーもかけて作り上げたプログラムが、無料で配布されていたりする。
私なら、お金欲しいよなあ〜と思うのだけど、それはその人の考え方。
「多くの人に使ってもらえてうれしい」
でも、それって、もしかして、モノ作りの原点であって、
すぐに対価と結びつけることが、消費に頼りきった社会を作ったのかもしれません。
実際の社会の仕組みは、私たちひとりひとりの「思い」とはかけはなれたところで
一部の人間の思惑で動くことが多い。
ネットは、そういう意味で、個から集団へ、集団から個へのフィードバックの可能性が無限。
ここに新しい「お仕事」が成り立てば、モノ作りと流通という「実業」からあぶれた人の
能力を活かせる場が、また生まれるのかもしれません。
|
| No.38 「モノの寿命」
|
ここまで、いろいろな現代社会の仕組みの「いびつさ」を検証してきましたが、
仕組みが大掛かりになればなるほど、「転換」が難しい。
ズレが大きいなーと思うのが「モノの販売サイクル」
新製品を次々出して、売らなくては会社がつぶれるーのはわかるけど、
たいてい、前に買ったモノはまだまだ使える。
使えるのにまた買うのは、いくら新機能がついていても・・・・という風潮になってくると、
今度は「壊れやすい」ものが増えていく。
修理して使い続けることも難しい(部品や技術的な面で)
人が一生のうち、買わなくてはならないモノはどのくらいあるのだろう。
たとえば、冷蔵庫ーぽぽい家のものは、17年選手ですー結婚した時に買いました。まだ現役。
おそらく、電気代はかかるタイプだと思うけど。
冷蔵庫が登場したのは、ぽぽいの小さい時で、わが家はデンキ屋さんだったから、早くから使っていました。
でも、買い換えてたかなあ〜子供の頃、結婚してから、そして、この先もう一回は買うかな〜3台か。
会社の販売戦略はさておいて、プラスチックが登場し、次々と新素材が出てきた今、
洋服は破れないし、モノは破損しない、土に埋めても自然に還らないー
ほんとうに、モノの寿命は長くなりました。
長くなった寿命に合わせた、モノとのお付き合い、考えましょう。
|
| No.39 「価値観」
|
世の中に、コレクターという人種は多々おります。
ぽぽいのバンド仲間に、ガンダムオタクという男がいるんですが、
先日、実家で見つけた「リボンシトロンガンダムグラス」もう、数十年前の販促品。
箱も汚いし、捨てようかなーと思い、「待てよ」ーきいた彼は、大喜び。
そう、モノは「わたしにとって」不要でも、「誰かにとって」必要なんです。
壊れて修理不能じゃない限り、使い回しを考えましょう。
モノをたくさん持つことが幸せかーに関しては、なんだか「そうじゃないぞ」と言ってばかりいる
ぽぽいですが、そんなことはないです。
「家中、いろんなモノに囲まれて暮らしたい」というのも、ひとつの価値観。
ぽぽいは、たまたま「シンプル指向」なだけなんです。
だから、他人に「こんなもの置いておくの?」と思われるモノであっても、
その人にとってあって欲しいのなら、それは「必要なモノ」 アタリマエですが。
おかたづけで目指すのは、「自分が不要と思うモノがあふれている」空間をなんとかすることです。
だから、量じゃないんですね。
捨てましょう、量を決めましょう〜というのも、「必要だと思う」モノの量です。絶対量じゃない。
複数の人間が暮らす時に、難しいのはそこの折り合いです。
大事なのは「ひとりひとりが違う価値観をもっている」と認め合うこと。
どうしても他人の価値観を受け入れられないのなら、1人で暮らすしかありません。
|
| No.40 「ライフスタイル」
|
上にも書いたとおり、ぽぽいはシンプルな暮らしを目指しています。
なるべく、自分の手足を動かし、自分の手の届く範囲でモノを作り、
自分の手に負える量のモノで暮らしていきたいんです。
人生の折り返し点も過ぎたし、子供もいないので、今の持ち物は私の代限りだし。。。。
ライフスタイルーなんて意識するヒマもなく、生きてきましたけど、
演奏の仕事を始めてなおさら、「生き方」は、いろんな場面で人に伝わるんだーと実感しています。
そう、楽器の演奏って、もろに暮らし方が出ます。
粗雑な暮らしをしていたら、粗い演奏になるし、
ネガティブな気持ちで演奏したら、聴いている人は気持ちよくない。
人と話しても
、仕事をしても、遊んでも、きっと生き方・暮らし方は出ていると思う。
どんなスタイルで暮らすかーインテリアやファッションだけじゃなく、モノや行動の選択の場面で
「何を大事にし、何に心をくだき、何を基準に選ぶのか」
これが確立しているひとは、具体的に何をしている人であっても、素敵だなーって思うのです。
|
| ← back |
|